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2004年7月

第十二番 慈恩寺 -眷属-

華林山慈恩寺。天保十四年に再建された十三間四面の大本堂は堂々とした大寺の風格。大きい寺で手を合わせると、日頃小さい自分の心が大きくなってくる。参拝して本堂を離れようを思ったが、ふと横を見ると内陣に入れるようである。

内陣に入ると・・・驚いた。前立の千手観音も美しいのだが、眷属の二十八部衆、不動明王、毘沙門天がかなりかっこいいのだ。千手観音を中心に、黒面、黒装束の眷属達がこちらに迫ってくるようである。

観音様も眷属達も何も言わないが、「おまえは決して一人じゃないぞ。一人じゃないぞ。」と言われているような気がする。

いつまで続くとも知れぬこの旅。一人だが、決して独りではない。暖かく優しく、大いなる力を得て、またこの道を行く。


この日廻ったのは二寺、歩いた距離は約12キロ。距離としてはさほどではないが、慈光寺の山坂が少々きつかった。篤い信仰心も無く、体調も万全でないのに、我ながらよくやるものだ。

第九番 慈光寺 其の志 -正道-

慈光寺を後にし、平坦な道を少し歩くと霊山院。関東最古の禅道場とのこと。法事が行われていたので、寺の外観だけ見て帰ることにした。

尾根伝いの山道を通って帰るつもりだったのだが、途中で完璧に道に迷った。不安になりながら歩いていると、当地の老婆に声をかけられた。道を尋ねようと思ったのだが、彼女曰く「うちの爺様がどこかに行ってしまってねぇ。もう、ボケてしまってるもんでちょっと目を離すと歩いて行ってしまうのよ。」と。道を尋ねるどころではない。暫しその辺りを探してみるが見付からない。そのうち彼女が「ああ、もういいですよ。いつものことだし。」と。もうすこし探そうと思ったが、いいですいいですと何度も言うので、先に進むこととした。爺様のことは心配だったが、周りに住宅が並んでいるし、山奥ではないしその内見つかるだろう、と自分を納得させることにした。遠隔だが、慈光寺の方に向かって爺様の無事を祈った。

しかし自分も迷走中。民家の住人に聞いてみてもよかったのだが、暫く勘を頼りに歩き続けると、思いがけず、来る時に通った道に出た。
人生はいつも迷い道だ。しかし、迷った時にどうするかで人の真価が分かる。そして、迷った時に冷静に正しい判断をするためには、経験と希望が必要である。時には引き返す勇気も必要である。

かなり予定以上の時間を費やしてしまったが、まだ間に合いそうなので次の寺へ向かった。

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